市民活動情報誌ウォロ4月号に、間違いの「におい」~と題されたエッセイが掲載されていました。とても心に響きましたので、恐縮ですが引用させていただきます。
~「おかしい」と思いつつ声をあげず、他人任せにする例が目立つ。それは政府にも、政党にも、あるいはNPOやボランティア団体、地域の自治会にも当てはまるかもしれない。かすかな違和感に感度を研ぎ澄まし、「誰か」ではなく自分が声を上げてみる。そんな積み重ねが、世の中を少しずつ良くするのだと思う。?
(*詳しくはぜひウォロを直接お読みください)
かすかな違和感に感度を研ぎ澄ます・・・
この感覚を久しく忘れていたような気がします。自分が声を上げるには、まずこの「感度を研ぎ澄ます」感覚を取り戻さねばと思いました。どこからか「あなたにその感覚ありましたっけ?」という声が聞こえてきそうではありますが、少なくても「そうありたい!」と願う自分はいたと思います。
それがいつのまにか、鈍感になりつつある自分、まあいいか・・・というところにいきそうな自分がいます。
ああ、それはイヤだ~! 絶対にイヤだ!
目を覚まそうと思います。
社会人になって、学生のときよりも「おかしいことばっかりだな」って思います。この震災後の政府の対応も相当におかしい。そして所属する組織が、「おかしい」と声を上げさせてくれない…。
返信削除「おかしい」と感じる感覚を自分の中で抑圧したり、無視し続けるといつの間にかおかしなことに慣れてしまっている気がします。慣れって怖いなと思う瞬間です。
私も、感度が鈍らないようにしていきたいです
…。
由美子さんへ
返信削除今、大学は桜が満開です。各施設で「お花見」が企画され、地域や学生のボランティアみなさんも加わり、春を満喫しています。
「鋭い感性」が魅力の由美子さんです。それは決して失せることはないと思います。